c-kit遺伝子変異検査

はじめに

 近年、犬および猫の肥満細胞腫においては、チロシンキナーゼ阻害剤(TKI:Tyrosine kinase inhibitor)を治療薬として選択するためのc-kit遺伝子検査が一般的になってきました。c-kit遺伝子に変異が認められる症例に対してはTKIの効果が期待できます。
 肥満細胞腫のなかには変異型KIT蛋白による異常なリン酸化の亢進により腫瘍化が引き起こされるタイプが存在します。このようなタイプの肥満細胞腫に対してTKIは異常なKIT蛋白のリン酸化亢進を抑制することで腫瘍増殖を抑制します。c-kit遺伝子検査はこのKIT蛋白に異常があるか否かを遺伝子変異を検出することで評価し、TKIの効果を予測するものです。(TKIの選択のための情報を提供します)。
 犬の消化管間質腫瘍においても、TKIの適用例の報告は増えています。しかし、大規模な調査は行われていないため、奏効率などは明らかになっていません。

メシル酸イマチニブの作用機序

 KIT蛋白は肥満細胞の表面を貫くように発現しています。リガンドである幹細胞因子(SCF:stem cell factor)の結合により二量体化し、ATPの結合によるリン酸化が起こり、下流の分子へと生理的な増殖シグナルを伝達します(図1-Ⓐ)。しかし、変異型KIT蛋白ではSCFの結合なしに異常なリン酸化が起こり、生理的レベルを逸脱した過剰なシグナル伝達が起こります(図1-Ⓑ)。犬や猫の肥満細胞腫の中にはこれらのメカニズムにより腫瘍化が引き起こされるタイプが存在します。TKIは変異型KIT蛋白の立体構造にはまり込み、ATP結合を阻害し、リン酸化の亢進を抑制することで増殖を抑制します。(図1-Ⓒ)

メシル酸イマチニブの作用機序(図1)

メシル酸イマチニブの作用機序(図1)

図1.KIT蛋白の細胞増殖調節機構とTKIによる抑制。Ⓟ:リン酸化を示しています

検出可能な変異の種類と変異率

 弊社で検出可能な犬・猫のc-kit遺伝子変異の種類と頻度を表1に示しました。犬で最も効率に発生する変異はエクソン11の重複挿入(ITD:internal tandem duplication)変異で、発生頻度は9.1~17.0%と報告されています1)-4)。 また、グレードⅢの肥満細胞腫ではさらに頻度が高く、報告により差はありますが53.0~71.0%と報告されています3)-5)。一方、猫においては犬に比べて検出可能な変異の種類は少ないものの変異の頻度は高く、報告により異なりますが、エクソン8のITD変異では8.3~40.3%、エクソン9のS477I変異では19.4~41.7%と報告されています6),7)

表1.細胞診あるいは病理診断により肥満細胞腫と診断された症例におけるc-kit遺伝子の変異率(社内データ)

表1.細胞診あるいは病理診断により肥満細胞腫と診断された症例におけるc-kit遺伝子の変異率(社内データ)

イマチニブの効果予測

 検出可能な変異におけるイマチニブの効果を表2に示しました。変異の認められた複数の臨床例においてイマチニブの効果が示されているのは犬のエクソン11 ITD変異、および猫のエクソン8 ITD変異です。これらの症例では高率にイマチニブの高い奏功性が示されており、ITD変異が検出された肥満細胞腫においてはイマチニブの効果が期待されます。しかし、ITD変異が認められていても耐性機構の存在により効果が認められない症例も存在することに注意が必要です。また、他の変異については少数の臨床例あるいは細胞レベルでの効果が示されており、変異があることでイマチニブの効果が予想されます。さらに、「検出されず」と結果が出た場合には、本検査はc-kit遺伝子の全ての配列を解析しているわけではないこと(検出可能な変異においては変異が検出されていないこと)、イマチニブが他の未確認標的分子を阻害する可能性も否定できないことなどから、イマチニブの効果を否定する結果ではないことを考慮する必要があります。

表2.検出可能な変異におけるイマチニブの効果

表2.検出可能な変異におけるイマチニブの効果

犬の消化管間質腫瘍における
c-kit遺伝子変異検査

 犬では、c-kit遺伝子に変異を持つ消化管間質腫瘍(GIST)の症例が複数報告されており、エクソン11に高頻度で変異が認められ(32.6-54.5%)16),17)、この変異を有しメシル酸イマチニブが奏功した症例が2例あります14),17)。ただし、エクソン11に変異はないがイマチニブが奏功した症例17)、あるいはエクソン9に変異がありイマチニブが奏功した症例18)もあるため、変異があるとイマチニブが効果を示す可能性はありますが、大規模な調査が行われていないため、奏効率などは明らかにされておらず、同様に変異の有無と予後の関係は明らかにはなっていません。

検体

 c-kit遺伝子検査の検体を選択する際に最も重要な点は、検体中に腫瘍化した肥満細胞が出現していることです。変異を持つ肥満細胞腫に罹患していても、血液中に腫瘍化した肥満細胞が出現していない症例で血液を用い検査を行なった場合には、「変異なし/検出されず」と判定されます。そのため、多くの症例では腫瘤の針生検または切除生検により採取された組織・細胞が推奨されます。また、c-kit遺伝子検査の利点として、組織・細胞が死んでいても検査が可能という特徴があり、細胞診用のスライド標本からも検査が可能です。細胞診を実施し標本中に肥満細胞が出現していることを確認した後に依頼することで目的の腫瘍における遺伝子解析が行えます。また、病理診断を行う場合には、可能であれば切除した組織の一部を遺伝子検査用に凍結保存することが勧められます。病理診断後にホルマリンで固定した組織から検査を行うことは可能ですが、検体によってはホルマリンの影響により検査が阻害され変異の有無を判定できない場合があるため、凍結検体を用いることでこの問題は解決されます。ケーナインラボの調査ではホルマリンに浸漬した検体のうち、約2-3割の検体で変異の有無を判定できませんでした。よって、現在は原則的にホルマリン浸漬された検体での遺伝子検査は受け付けていません。

よくあるご質問

肥満細胞腫の診断に使えますか?

本検査はTKIの効果を予測するためのものであり、肥満細胞腫であるか否かを判別するためのものではありません。

ヒトの医療では、メシル酸イマチニブが慢性骨髄性白血病(CML)に使われていると聞きました。
犬・猫のCMLでも著効しますか?

ヒトではフィラデルフィア染色体という遺伝子の異常が原因の慢性骨髄性白血病の症例に著効しますが、犬・猫ではフィラデルフィア染色体が確認されていません。したがって、効果の有無は明らかにされていません。

リンパ腫の症例で、c-kit変異を調べる意義はありますか?

少なくとも犬・猫のリンパ腫においてはc-kit変異とTKIの効果についての報告はないため、本検査を利用する意義は低いと考えられます。肥満細胞腫、GIST以外で本検査をご利用いただいた経験もありますが、変異が検出された経験はありません。

参考文献

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